atmark680の日記

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侘び寂びはマジンガーが教えてくれた

3/22 月 に次の番組が放送された。

記事に掲載期限があるようなので消えたときのためにタイトルも添えると、

 

プロフェッショナル 仕事の流儀庵野秀明スペシャル」

 

である。

 

www6.nhk.or.jp

 

周りで見ていた人からは、よく作られた番組であると評判の良かったものである。

 

だが、一か所どうしても見過ごせない説明不足があったので、わたしの主観で説明を補足させていただく。

 

なお、エヴァは予備知識として一切必要なく、予備知識がない状況でこの記事を読んでも読めるものとして書いているつもりである。シンエヴァのネタバレもない。

 

 

 

1回しか見ていない上にそこまで集中していなかったので細部は怪しいが、

 

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庵野監督は鉄人28号の画をよく書いていた

その画は手足が欠けているものばかりだった

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という描写があった。番組の文脈的にも庵野監督自身の「歪さ」が強調されるものであったとわたしは解釈しており、事実この描写を見て、Twitterでフォローしている人が「サイコパス」のように呟いていた。

 

これについては、NHKの放送仕方が悪いと断固声を上げたいと思い、この記事を手掛けた。

 

何故なら、何かしらが欠けたロボット......本稿では以下「欠損ロボット」のように表現するものは、ロボットアニメの名場面とイコールになっているものが多く、花形といってもよい、満を持して登場するものだからである。

 

そのような定番であり、多くの人から愛されている表現について、見ている人から「好きな人がサイコパス」と思われるような番組構成は偏った見せ方であり、何かしらの補足をすべきであったと考えている。

 

とはいえ、庵野監督の番組については、ファンから「ここの場面はこうしろ」というのを一々真に受けていたらきりがないので、番組の放送時間との兼ね合いもあり、最善を尽くした結果の構成であったことは理解する。

 

例えば、エヴァの最終回の近辺のスケジュールよりも、「カレカノ」の楽曲の制作が遅れてOPが6話までつかなかったことの方がよほど酷かったとわたしは思うのだが、「カレカノ」周りのスケジュール事情を放映しなかったとしても、番組構成上仕方なかったと理解をしている。

 

今回については、たまたま説明をしていなかったところが、とても重要であるところで、NHKの「運が悪かった」ということであろう。

 

1. マジンガーZ vs 暗黒大将軍

 

本題に入る。本節のタイトルのマジンガーZ vs 暗黒大将軍は、ロボットアニメを代表する古典的名作のマジンガーZを、更に代表する映画である。なお、TV版最終回と大筋は同様の映画である。

 

この映画でマジンガーは次のような状況に陥る。

超合金魂 GX-70SPD マジンガーZ D.C.ダメージver. アニメカラー | 魂ウェブ

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画像は商品サイトからの引用

後半で戦闘獣との戦闘で、マジンガーは「欠損ロボット」の状態になる。そしてもうだめだと思ったところで、グレートマジンガーが登場し、戦闘獣を一掃し、グレートマジンガーにバトンタッチをしてグレートマジンガー一話に続く、という構成である。

 

特にインタビューなども見ない状態で、主観でこのような構成になっている理由を推測する。

 

まず、マジンガーZがドクターヘルを倒したあとも、人気があるために続編が求められているだろう。ここで、前回の記事にも書いた、キリキリバッタ理論が使われたのと予想する。

 

キリキリバッタはなぜ偉い - atmark680の日記

 

マジンガーがずっと戦うのではマンネリ化するので、キリキリバッタとしてグレートマジンガーが登場することには大いに価値があるだろう。

 

しかし、マジンガーZのファンからすると、いきなりグレートマジンガーになっても、自分の好きなマジンガーがいなくなったと、納得できないだろう。

 

そこで、マジンガーZでも勝てない敵が出てきたから、バトンタッチもやむを得ないという流れを作りたかったのだろう。

 

そのために、マジンガーZは上述のような欠損ロボット状態に陥り、そこでグレートマジンガーが救援としてやってくる。

 

だが、マジンガーZがボロボロになっただけで何もできないようでは、それもファンは納得しないだろう。

 

マジンガーZはその後も戦闘獣相手にあきらめず最後まで戦い、マジンガーブレードをグレートマジンガーから受け取った後は、武装が半壊している状況でも一矢を報いなんとか戦闘獣を倒すことにも成功する。

 

以上から、マジンガーZが活躍しつつも説得力を持ってバトンタッチをする、非常によく練られた話であると感じられたものである。

 

この、欠損ロボット状態のマジンガーZが、非常に人気がある。証拠が、ダメージverの超合金の発売である。主人公ロボットのボロボロになった状況がわざわざ商品化されるのは(あとで他の例も述べるが)なかなかないことだろう。

 

わたしもこの映画のボロボロになったマジンガーZは好きで、理由を述べると、

 

「ボロボロになっても戦い続け戦闘獣をマジンガーが倒したことで、失敗の象徴ではなく、成功の象徴として受けとれている」

 

ことがあるだろう。単に痛めつけられた状況としてでなく、死力を尽くして戦った結果の姿であるので、美しさのようなものをわたしは感じる。

 

似たような構図としては、ドラゴンボールの悟飯vsセルの、「親子かめはめ波」が挙げられるのではないだろうか。

 

ドラゴンボールの超名場面として世界的にも有名な場面だと考えるが、あれがもし、悟飯が「両腕とも無事」なら、どうなっただろうか。片腕が負傷している中での親子かめはめ波だからこそ、一枚絵が感動的なものになっているといえないだろうか。

 

ブレストファイヤーが片方壊れるなか、グレートマジンガーの助けを借りながら残ったブレストファイヤーで戦闘獣を倒す姿を、親子かめはめ波と重ねて観てもそこまで不自然ではないのではなかろうか。

 

2. ガンダム

 

マジンガーZ以外にも欠損ロボットの表現はいろいろあり、ガンダムでもしばしば登場する。いや、おそらく欠損ロボットで最も有名なものが初代ガンダムの「ラストシューティング」であろう。

 

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画像は、 WORLD|機動戦士ガンダム公式Web

の第四十三話の紹介からの引用

 

以前何かの記事で読んだことがあるが、富野監督はガンダムをただの兵器として描きたかったらしく、最終回のあの描写につながったそうだ。

 

片腕、頭部がなくなりつつもジオングを打ち抜く、ガンダム屈指の名場面である。

 

ガンダムvsジオングは欠損表現がかなり目立つので、ここで1から紹介をしていこう。

 

まず、ジオングは両脚のないMSである。だが、無重力戦だから本来脚など必要なく、ジオンのスタッフはシャアに

 

「脚なんて飾りです。偉い人にはそれが分からんのです!」

 

という有名な名セリフを述べる。この「偉い人」を「NHK」に変えるだけで本記事の要旨が済んでしまうあたりからも、短いセリフのなかにも情報量が多いことがわかる。

 

その後も、ガンダムの頭部が吹き飛んでも

 

「たかがメインカメラがやられただけだ!」

 

というこれまた有名な名セリフで戦いを続け、ジオングが頭部だけのジオングヘッドとなったところを、ラストシューティングで打ち抜いて最終戦が終わる。

 

脚、頭部がなくても機能としては問題ないから戦い続けられ、ボロボロの状況でも戦えるのがロボットである。

 

そして、そういった状態でも戦い続るロボットの美しさをもっとも美しく描いたものが、ラストシューティングであるとわたしは考えており、だからこそ名場面として浸透しているのだろう。

 

ガンダムシリーズでは他にも大事なところでしばしば欠損描写がある。

 

ガンダムWエンドレスワルツでは、アルトロンにやられボロボロになったウイングゼロカスタムがツインバスターライフルを3発撃ち自壊する。

ガンダムOO2ndシーズンでは、ガンダムエクシアリペアという、欠損ロボットとしか言いようがないものが登場する。おそらく、欠損ロボットの商品として最も人気があるのは、ガンダムエクシアリペアだろう。

 

また、ガンダムUCの小説版1巻では、MSが人型であるのは宇宙空間での姿勢制御が容易だからという解説があり、読みながらなるほどと思ったものだ。

 

3.更に考察

 

本当は2節までで記事を終えるつもりだったのだが、ここまできて、あることを思いついたので、それについての考察を加えていく。

 

ガンダムマジンガーの欠損状態を美しいと思うときのわたしの気持ちは、「廃墟写真」を観たときの感情に非常に近いと、記事を書きながら気づくことが出来た。

 

そして、それはいわゆる「侘び寂び」の心である。

 

侘び寂びとは聞いたことがありなんとなく意味が分かるものの、詳しくは知らないという人が多いだろう。わたしもそうであったので、改めて調べてみて私の解釈で要約したものが次である。本当は自分で辞書を引いて調べる方がいいことは注記しておこう。

 

侘び

 

不完全なものを美しいと思う心

 

寂び

 

時間経過で寂びれたものを美しいと思う心

 

であり、廃墟はまさに侘び寂びの心であろう。アニメの最終回での主人公ロボットの欠損は、欠損で侘びを、やや苦しいかもしれないが最終回まで長い時間かけて見ることで寂びをも内包していると思える。

 

ラストシューティングを美しいと思う心は、古くからの日本人の美意識の一部であるともいえるのではないであろうか。

 

西洋まで調べても、ミロのヴィーナスのように不完全だからこそ美しいという作品もあり、不完全さを美しいと思う心は、探していくと枚挙に暇がないほどになるのかもしれない。

 

4. 終わり

 

以上を以って指摘を終わる。

 

番組の構成をわたしがするのなら、庵野監督がロボットの欠損画を好んでいたのは、

 

「早くから非凡なクリエイターとしての才能の片鱗をのぞかせていた」

 

と、ミロのヴィーナスなどを例として挙げながら述べ、最後にトップをねらえ1の最後のガンバスターの画を載せるような形にしただろう。

 

先日のTV番組で手足が欠けたロボットの画ばかり書くのを「サイコパス」のように感じた人に、欠損ロボットの美しさが伝わってくれたら嬉しいことこの上ない。