2021/3/27 映画鑑賞会レポート

2021/3/27に行った、つまらない映画を集めた鑑賞会のレポートである。

 

今回は、まず前菜に面白いものとして、「puipuiモルカー」一挙視聴をし、その後、

 

ドラえもん のび太の人魚大海戦

二ノ国

ドラえもん のび太と緑の巨人伝

 

の3本の鑑賞を行った。メインの3本はいずれとも、劣るとも勝らぬ迷作ぞろいであった。

 

多少ネタバレを含んだ感想を書くが、おそらく、ネタバレを見て面白くなるということはないはずなので、見ても視聴には問題ないだろう。

 

 

1 当日準備

 

前回はつまらないコナン映画観賞会として、

 

11人目のストライカー

紺碧の棺

銀翼の魔術師

業火の向日葵

 

を行っていて、今回は何をするか悩みどころであった。結局、緑の巨人伝が劇場で見てあまりのつまらなさに衝撃を受けた作品だったため、ぜひ見るべきだろうと思って、採用を決定した。そして、折角だから評判の悪そうなドラえもん映画を探したら、人魚大海戦が緑の巨人伝と丙丁つけがたい出来であったようなので、採用を決定した。

 

加えて、見たことない人多数だった二ノ国を採用して、今回の献立となった。

 

二ノ国に比べてドラえもん2本が負けないかどうかやや不安であったが、同格のラインナップとなったようで献立作成に成功したようで、終わった後は胸をなでおろしたものだ。

 

つまらないポケモン映画会も考えたが、ケルディオ、ディアパルダークライといった評価の低い映画もコナンの銀翼よりは遥かにマシらしく、銀翼より二ノ国の方がつまらないので、ポケモンでは勝負に至れないということで、今回は見送った。

 

ディアルガvsパルキアvsダークライ

 

ではなく、

 

人魚大海戦 vs 二ノ国 vs 緑の巨人伝

 

にしたのは正解だったであろう。以前のコナン映画会の感想もそのうち書くかもしれない。

 

2 人魚大海戦

 

途中まではなんてことないいつものドラえもん。ちょっと設定が凝っているので説明過多ではある。振り返ると、序盤から、説明を聞かないと物語の意味が分からないが、説明を聞いたら矛盾により物語がもっとわからなくなるという、高度な技術が用いられていた。

 

 

話としては、スネ夫が海で遊んだ自慢をして、のび太ドラえもんに海で遊びたいという。

 

そして、ドラえもんが海で遊べるようにひみつ道具でいろいろやっていたら、人魚と出会って云々というのが、序盤の流れである。

 

この云々の間にも狂気を感じる場面がそこそこあるのだが、一々書いているときりがないので省略する。ぜひ見てもらいたい。

 

そして、人魚姫と親交を深めた段階で、人魚たちが実は宇宙人であるという話を聞き、人魚族の秘宝である人魚の剣を探すのを手伝うために、人魚の町にいくというところから、話が本格的に動き出す。

 

 

そして、狂気を感じるシーンが徐々に増えていく。

 

たとえば、スネ夫がおそらく人魚姫の故郷の星はこの星座だろうと提案して星を見に行くのだが、スネ夫が数多もの星から星座を見つけられないと、

 

ジャイアン「絶対許さねぇぞ!」

しずちゃん「ソフィアさんがどれだけ傷ついたと思うの!?」

ドラえもん「まじめにやれ!」

 

と、大量の星から星座を見つけられないだけで、なぜここまでスネ夫が叩かれるのか、誰も理解できなかった。

 

この後だが、人魚姫たちの元々の星での敵対勢力が、人魚族の秘宝を奪い宇宙征服するために襲ってくるのを撃退する、というのが要旨となる。

 

要旨となるのだが、大事な説明を全て引っこ抜いた意味不明な展開であり、見ていて突っ込みが追い付かない。

 

全て述べたら映画をすべて文章化するのと同じことになってしまうので、簡単にだけ述べていく。

 

 

しずちゃんが敵対勢力に誘拐されるのだが、それをのび太達が悟るシーンが、すべて憶測だけで進んでいく。結果的に合ってるのだが、海の民が「奴ら」といっているのを、ジャイアンが「奴らって誰なんだよ!」って突っ込んでくれたのが、あまりにも鑑賞者の心情と一致していて笑ってしまった。

 

・人魚姫のティアラを分析したら事実が判明したというシーンがあったが、映画始まる前から出来る事だろ。5000年間お前らなにをやっていたんだ。

 

しずちゃんと人魚の秘宝の交換で、なぜかドラえもんがなかなか人魚の秘宝を出さないで、敵が「先に剣を出せ」というのが正論すぎて、誰もドラえもんを擁護しなかった。

 

・その後の戦闘シーンの描写がシュールすぎて一見の価値あり。

 

・人魚の剣を持ち帰った悪役が、敵ボスから「これは偽物だ!本物の剣の特徴はこれだ!」って怒鳴りつけて、一同で「なんでお前は最初から剣の特徴を言わないんだよ!」と一斉に突っ込みが入った。

 

昨今のブラック上司への風刺かもしれない。

 

また、ボスが人魚の鎧を持っている描写は節々に入るのだが、この鎧は永遠に使われることがなく、なんのためにあるのか誰も理解できなかった。

 

・そして、悪役との全面対決になるのだが、ここが個人的には一番やばかった。

 

人魚の女王「この戦いの全権を人魚姫に委ねます。重い責任をあなた一人に背負うことになります。許してくださいね」

「でも、わたしはあなたを誰よりも愛してます」

(感動的なシーンを匂わせる曲と周りの反応)

 

全くもって意味不明であった。なぜ人魚姫にすべての責任を押し付けるのか。そして、すべての責任を押し付けておいて、なぜ誰よりも愛していますなんてセリフがいえるのか。そして、なぜこの女王のセリフをみんなが感動して泣いているのか?1から10まですべてが理解できないこの映画屈指の迷シーンであった。

 

・よくわからないまま、セリフだけで戦力が半壊したことが伝えられ、人魚姫が祈りを捧げ本物の人魚の剣を祈りによって呼び寄せる。

 

ここからが本当に意味不明で、「王家の祈りにより(中略)願いがかなえられる!」といわれ人魚の剣が召喚されるのだが、なぜか、本当に何故か、

 

敵のラスボスの目の前に人魚の剣が召喚される

 

この記事を書くために見直したのだが、改めてみても本当に意味不明だった。

 

ここから先は狂気のオンパレードである。

 

・人魚の剣は水流を自由に扱って攻撃出来るらしいのだが、なぜ水流を扱える武器を持っただけで、宇宙征服できる息まいているのか誰も理解できなかった。宇宙空間戦でどうやって人魚の剣を使うんだろうか。

 

そもそも、直後に、海の民が

 

「水がないと人魚の剣が使えないはずです!」

 

といっていて、もう何を作っているのか自分でも若手ないのではないだろうかと思えた。この映画は宇宙人設定が不要だったと言われがちなようだが、宇宙で人魚の剣の使い道がないのが理由だろう。

 

・ただのサーフボードでジャイアンたちが達人級のサーフィンをしながら敵ボスに攻撃して、タケコプターで離脱したのだが、なぜ最初からタケコプターじゃないのか?

 

・序盤の道具の説明の伏線を回収しながら戦いが終わる。十分ひどい戦闘かもしれないが、ここまでが酷すぎるのでもはや何も思わなかった。ラストの描写も、もうちょっと作画工夫すれば言いたいこと伝わるだろうと思える、よくわからない描写だった。

 

・最後が衝撃的で、人魚姫とのお別れのシーンがなく終わる。参加者からは、

 

「これから映画を見るとき、お別れシーンがあるかどうか気にするようになってしまった」

 

という悲しい感想が聞かれた。この映画を見てしまったら最後、お別れシーンがあるだけで人魚大海戦よりマシという気持ちに至るかもしれない。

 

以上が人魚大海戦の大まかな感想であり、まとめると、「それはそうならんやろ!」という突っ込みが常に連続して紡がれる作品であった。

 

間違いなくつまらなく、酷い作品なのだが、一つ一つのひどさは指摘しやすいので、クソ映画入門として大変に適していると思われる。

 

ワーストレベルにつまらない映画であるにもかかわらず、つまらなさの理解が一つ一つ容易ということで、クソ映画観賞会を開きたいという人には、ぜひおすすめしたい逸品である。

 

3 二ノ国

 

次のブログの感想ですべてがまとまっているため、ここでは細かいことは述べない。参加者からは、デオラン日記で予習していたため、ハルという名前だけで笑ってしまうという声や、終わった後にデオラン日記で復習しようという声が聞こえた。

 

二ノ国【映画感想・ネタバレあり】 - デオラン日記

 

鑑賞者からは、二ノ国については最後のポエムのつまらなさが群を抜いて苦痛でつまらないという感想が目立った。

 

だが、人魚大海戦という怪作により、お別れシーンがあるだけで人魚大海戦よりマシという声も聞かれた。

 

わたしはこれで3回目の二ノ国の視聴であったが、平均不合理は人魚大海戦が上だが、不合理の極大値は人魚大海戦より上という印象だった。劣るとも勝らないので、劣優はつけづらい。

 

4 緑の巨人伝

 

劇場で見てとにかくつまらない記憶があったものを、13年ぶりに鑑賞した。つまらないのが記憶だけの勘違いだったらどうしようかという心配はあったが、鑑賞者からは苦痛度だとこれが一番という声も聞こえて、安心できた。

 

さて、緑の巨人伝が2008年の新ドラオリジナル第一弾で、人魚大海戦が2010年の新ドラオリジナル第二弾である。

 

この時期に、「最近のドラえもん映画はつまらない」のような意見を見た記憶が多分にあるが、緑の巨人伝と人魚大海戦はどちらも、ありとあらゆるポケモン映画、コナン映画を大幅に下回ってきていて、クソ映画代表の二ノ国と丙丁つけがたい作品であるので、「ドラえもん映画としてつまらない」という次元で評価するものでないだろう。

 

これらの作品のつまらなさが、「最近のドラえもん映画はつまらない」だけで済まされていたのが、改めて思うとずれている気がしてならない。

 

本題に移ろう。

 

緑の巨人伝は見ながら、「怖い」という感想が出て、参加者が検索しても「怖い」がサジェストされた。

 

全編において、「自分と見えている世界が違う」んじゃないかという疑問を一度抱いたら最後、拡大していく映画で、怖いと思うのもうなずける。この映画は理解してはならないものではないかという声も聞かれ、おそらくクソ映画の中でも難解な部類だろう。

 

つまらなさは保証できるうえに、おそらく多くの人がつまらないと思える作品なのだが、つまらなさの説明が難解という珍しいものである。

 

鑑賞会のラストという、目の肥えたタイミングで持ってきたのは正解だったと思っているが、最後にこれを観ることで、参加者のメンタルはゴリゴリ削られていたことは否めない。

 

内容の感想にもより踏み込んでいくと、とにかく虚無が雪だるま式に膨れ上がっていく、新感覚の映画である。

 

2回以上見ると分かりやすいのだが、この映画は、「つまらない。早くこの場面終わってくれ」という場面が終わると、もっとつまらない場面が次に現れるのが連続する。次から次へと純度の高い虚無が訪れてくる。そして、鑑賞が終了すると、雪だるま式に膨れ上がった虚無だけが胸に残るすさまじいものである。

 

場面場面のひどさも指摘できるが、それよりも、常に虚無が膨れ上がる構成のひどさが本質なので、切り抜いた酷さは本当の片鱗でしかない。

 

例えば水を探す場面で、

 

ドラえもんがポケットにただのヤカンを見つける

ジャイアンが水源に行く

着いたけど水貯めるもの持ってないや

 

で、「お前のヤカンなんのために出したんだよ!」と一同で突っ込んだが、この程度の虚無の切り抜きでは説明できない狂気のある映画である。

 

なんのためになにをしているのかさっぱりわからないまま、高濃度の虚無にさらされ続ける。

 

更に最後の特大の虚無が、本当は子供向けに笑いを取る演出なのだろうが、この映画の闇の深さに気づくと、明らかに自分たちと見えている世界が違う人の作った演出で、病んだ人の作ったようなものではないかという、不安も押し寄せてくる、とてつもない映画である。

 

ジブリを意識した演出や、自然保護を訴えているシーンも多いのだが、そんなもので拭い去れる狂気ではなかった。

 

自然保護を訴えるシーンは邪悪という意見さえあり、明らかな子供の声優に自然保護の大切さを言わせるのは、子供(の声優)を自らの主張の代弁者とすることへの疑問も呈された。

 

緑の巨人伝はレベルの高いつまらなさを誇る映画なので、よりクソ映画を見て見識を広めてから、再鑑賞し、つまらなさの説明を再度試みたいと思っている。

 

今回は狂気に踏み込むことがこれ以上できなかったので、ここで感想を終わる。

 

5 終わり

 

以上でレポートを終わる。

 

クソ映画鑑賞会は、つまらないと有名な映画は、自分一人では見る気が起きないから、みんなで見ることで見識を深めようというコンセプトの会である。

 

例えば、コナン会だと、

 

11人目のストライカー:瞬間最大つまらなさ

紺碧の棺:平均つまらなさ

銀翼:不快さ

業火の向日葵:虚無さ

 

とそれぞれつまらないベクトルが違い、まとめてみることで、つまらなさには様々な方向性があるという勉強を参加者一同ですることが出来た。

 

つまらない映画だから触れないというのも、却って見識が狭まるのではないか?あえてそれらに触れて、つまらない概念を理解することで、見識を広めることを目的とした、大変に面白くつまらない会であると考えている。

 

定期的に実施する予定なので次回もまたレポートをしよう。次はクレヨンしんちゃんでつまらなそうなのを攻めてみようかと、今は考えている。