東京2020閉会式

東京2020の閉会式見て、とんでもないものを見てしまったという気持ちになったので、後世の人々にこの気持ちを残すためにも、日記で残すことにする

 

 

東京2020はcovid禍の真っただ中での開催となり、五輪として初めての1年延期の末に開催された。

 

そして、開催直前になり様々な不祥事が明らかとなる、デルタ株により一年前よりコロナの流行が酷くなってるんじゃないか?のような状態になる、無観客での開催となってこれでは誘致した意味はあったといえるのだろうか?となる、と、まぁいろいろすったもんだの末に開催された。開催に反対意見がこれだけ多かった五輪も他にはなかったのではないかと思う。

 

無観客ではあるものの、開会式はゲームミュージックを行進曲と採用したり、日本の五輪で初めて五十音順での入場としたりと、見ていて「日本で開催するんだ」と見ながら実感できた。

 

日韓共催W杯のときは、街中を外国人が歩いているのを見て、W杯がひらかれるということを認識したものだが、さすがに今回の五輪ではそうはいかず、開会式ではじめて実感した。

 

ただ、デルタ株が猛威を奮っていて、在宅で過ごすことが推奨される情勢の真っただ中で五輪が開催されたのは、「家にいてやることがずっと供給される」という意味で、タイミングが良かったようにも思えた。

 

わたしは五輪は開いてしまったら楽しんだ方が得だと思ったので、かなりいろいろな競技を見て、一日平均だと(BGM代わりに流しているのを含めて)4時間ぐらいは観戦していたかもしれない。

 

特に今まで見たことのない競技を見て見聞を広げようと思いながら見ていた。見ごたえのある競技が多かった。

 

わたしにとっては、covid禍の中で日々を楽しく過ごすことに、間違いなく今回の五輪は役割を果たしてくれた。

 

そして、当然のように閉会式も観た。今回の記事はここからが本編なのである。

 

東京で五輪が開催されることが決まり、covidにより延期をし、それでも開催をし、始まってみれば楽しく競技を観れた。

 

その末の閉会式が異常につまらないものだったのである。閉会式のカテゴリは、クソ映画に属するものであり、サメ映画の中に混じっていても文句が出ないのではないかと思うものだった。

 

閉会式では疲れた選手たちをねぎらうために様々な演者を呼んだらしいが、真夏の東京の屋外で数時間拘束することがねぎらいになるとはとても思えない。

 

全編にわたってなにをやりたいのかがわからない閉会式で、「尺があって、尺を埋めることを前提に、それっぽいのを詰め込んだ」感を強く感じてしまった。

 

 

東京五輪の開閉式とパラの開閉式で合計165億円の予算がかかっているらしいので、平均すると、閉会式だけで41億円の費用ということになる。

 

また、最後の大会関係者のスピーチが異常に長く、開会式の延長の原因となったバッハ会長のスピーチが相変わらず長いあたり、いっそのことバッハ会長を年末のダウンタウンの笑ってはいけないに読んでスピーチさせたら面白いのではないかと、見ながら思っていたぐらいだ。

 

41億円かけたものとして、非常に味わい深かった。

 

 

この閉会式は、金をかけたけど何がやりたいかわからない、中盤に挿入されるダンスシーン、終盤に入る意味不明なポエム(バッハ会長の演説)といい、映画「二ノ国」と構成が大差なかったと思えた。

 

この閉会式のすごいところだが、五輪を楽しんでた人が最後にこの閉会式を見ることで、ただのクソ映画ではなく、ストーリー性をもったクソ映画となるのである。

 

映画というのは往々にして、単体での評価ではなく、背景のバックグラウンドを込めた、ストーリー性こみでの評価が妥当となりうる。これは予備知識が必要となるとは、また別の概念である。

 

例えば、エヴァの映画を見て、「そもそも公開してくれただけでうれしい」のような感想に至ったりすることである。

ゲームだと、ランス10のように、長い長いシリーズものの最終版をプレイすることで感じる感想が、ストーリー性を帯びた感想といえるだろう。

 

五輪閉会式は、ストーリー性のあるクソ映画であり、更に、そのストーリー性を多くの国民が共有できているであろうことが、特筆すべきことである。

そしてなにより、そのストーリー性を最もよく理解できているであろう、アスリートたちをわざわざ召喚して催していることが、今回の閉会式をとてつもないイベントに昇華したといえる。

 

五輪を見ていろいろな感想があったが、最後にストーリー性のあるクソ映画を見たことで、感想の多くが、閉会式に塗りつぶされてしまった。

 

恐らく、人生において、ここまで大規模なストーリー性のあるクソ映画を見れる機会はめったにないだろう。

 

そして、自分がその当事者となれて、一般人としてはストーリー性を十分感じられるバックグラウンドを持てた上で、この閉会式を観れたことは誇りにしたいと思う。

 

東京2020と同じぐらいに情勢が不穏な五輪はめったにないだと勝手に予想しているので、この時代を生きた人間が閉会式を観た感想を残すことは、歴史的にも価値があることだと思い、今回の日記を記すに至った。

 

次のクソ映画会合では東京2020の閉会式を採用し、並み居るクソ映画と比べてもつまらない催しだったかどうかを、議論したいと考えている。