わたしがTwitterをやりたくない大きな理由

タイトルのまま

 

 

SNSや短時間でできるゲームで特に恐ろしいと思うところは、「なんとなく開く」という行動が発生するところだと考えている。

 

このなんとなく開くをこれまで否定していなかったが、改めて考えるととても恐ろしい気がしてきて、「なんとなく」でルーティンな行動をするのを全廃しようと、生活の改善に動き始めた。

 

いまの世の中には、「なんとなく」で「手軽」に「なんらかの成功体験」か「他者とのコミュニケーション」を取った気になれるものが溢れすぎてる。

 

あるとき、これらの手軽な快楽に、脳がハックされているような感覚を覚えて、そこから急に手軽なちょっといい体験が恐ろしくなってしまった。

 

なんとなくでこれらの行動に出るのが、行動に簡単に移すことができて、なんらかの精神的なリターンを簡単に得られるからであって、自分が反射でリターンのある行動をとるという、動物的な本能だけで行動しているような感覚を覚えたのである。

 

そして、手軽になんらかの精神的リターンを得られるようなコンテンツに対して、「人間の脳をハックしてコンテンツに触れるよう誘導する」ものにも思えてしまった。

 

また、そういったコンテンツが脳をハックする力がかなり強く、かなり意識的にハックから脱出しようと思わないと抜け出せないようにも思えてしまっている。

 

現在はSNSなどは辞めるまではいかずとも、脳をハックされているような感覚で触れるのだけは脱却しようと思った。

 

農のハックはSNSだけでなく、1試合が短い手軽にできる対戦ゲームや、そのほかにも様々なコンテンツが引き起こす事象だと感じているので、いまは怖い時代だとも改めて思えた。

 

とはいえ、手軽な精神的リターンを全くの0とするのも難しいと思う上に、SNSや対戦ゲーム自体が悪いわけでもないので、自分の中である程度の許容ラインは設定して、過ごすことにした

 

・目的があって手軽な精神的リターンを生むコンテンツに触れるのはOK

(例:大会で勝つために手軽に触れられるゲームをやりこむ)

ただし、目的が惰性の産物だとしたらその限りではない

 

・なにかしらの教養、学びが得られる目的ならOK

(例:特に知りたい情報を調べるためにSNSを検索する

 

・なんとなくで「新しい」コンテンツに触れるのは、感想記事がかける程度の理解になるまでは許容

 

例えば、最近はこれまでのなんとなく時間で、DMMセールで買った詰将棋の本を読んでいる。これまで詳しくなかった将棋についてある程度詳しくなりたいという動機なので、許容ルール内のものである。

 

 

ただ、これまで何年にもわたって脳のハックを是としていたせいで、集中力がかなり落ちてしまったとは思えてしまっている。

 

それでもここで強い意志を持って、脳のハックから抜け出したいと思う。