AIが一番苦手なのは数学

これは煽りタイトルでもなく厳然たる事実と認識しているので、理由も併せて述べる

 

 

まず、いわゆる問題を解くというときに、問題の答えは2つに分かれる

 

・厳密解(ケースによっては最適解)

問題の精密な答え

ヒューリスティック

厳密解でない解すべて。なんとなくよさそうな解というイメージ。

 

例えば、

 

問:表が出る確率が1/2のコインを4回投げてちょうど2回表が出る確率を述べよ

 

に対して

 

厳密解:16通りが等確率で起こり、そのうち6通りが適するので、3/8が答え

ヒューリスティック解:コイン投げシミュレーションを作成し、1000000回試行して、そのうち条件に適する割合を解答とする

 

というのが代表的なものだろうか。何回シミュレーションしたところで、厳密解は得られない。極端な例だと、1111111111111111111111111111111111111111回シミュレーションしたところで、分母が8にならないので、厳密解には絶対至らない。

そもそも中心極限定理を考えると、連続分布である正規分布に法束収束するので、特定の値である3/8が得られる確率も、0に収束していくともわかる。

 

さて、AIは基本的になにかの評価指標があり、それを最小(or 最大)にするという設計が基本である。

 

そのために、反復法などなどアルゴリズムがいろいろあるが、大事なのは、現在のAIは厳密解を提示するのが極めて苦手で、ヒューリスティック解を解くのに特化したものであるという事だ。

 

例えば、絵や音楽に対してのヒューリスティック解を作成するAIとは、名作を無数に学習させ、それと似たようなものを作れという仕組みになる。

 

いわゆる芸術ジャンルは、数学と違って正解というものがない。不思議なようだが、AIは基本的にヒューリスティック解を生成するものであるので、正解がない芸術の方がAIが得意なものなのだ。

 

そしてヒューリスティック解の精度と計算速度を向上させるのが、作成者の腕の見せ所である。出来のいい画像生成AIとは、ヒューリスティック解の精度が高いことを指すに他ならない。

 

どのようなときもAIがすごいのではなく、

・どのような画像を参考素材にするか

・与えられた文から要素をどのように参考にするか

・画像をどのように数値化するか

・画像と画像の近さをどのように数値で定義するか

などなどの先人の知恵と作成者の知恵の合作を基に生成されたアルゴリズムこそが本当にすごいものである。すごいすごいといわれている機械はクリエイティブな人間の指示に従って膨大な単純作業をしているだけであり、画像生成AIの名前は知られていても、その作成者の名前は圧倒的に知られていないのは、「本当にクリエイティブ」な人が知られていない悲しい現象であると常日頃から感じている。

 

タイトルに戻ると、数学はヒューリスティック解を認めないことが、他の学問と一線を画するものである。

 

わたしの考えとしては、現在のAIのヒューリスティック解の精度と速度を向上させる路線は、数学の厳密解の追求路線とは全く異なるものなのだ。

 

そのため、一切のヒューリスティック解を認めず、厳密解以外はすべてバツの数学こそが、今のAIが最も苦手なものであるというのがタイトルの意味だ。

 

とはいえ、AIが数学に役立たないとは思っておらず、人間が数学の問題を解く際の助けになる。なにができてなにができないかの認識こそが肝要であるというだけだ。

 

また、AI以前の膨大な単純計算が数学の世界を変えることもある。四色問題がその代表例である。四色問題は、コンピュータが膨大な単純計算で人間の未解決問題を解いてしまった最も有名な事例であるので、興味があると調べてみるとよいだろう。

 

四色問題は、コンピュータが単純計算は得意なので、「XXX をみたす YYY が存在することを示せ」という問題に置き換える、膨大な計算でYYYの具体事例を見つけたという事例である。これは邪道という声もあるが、計算量が膨大でも有限なら解ける時代の到来という、黒船の襲来のようなものと捉えていいとわたしは捉えている。

 

しかし、「XXX をみたすYYYが存在しないことを示せ」という問題になると、コンピュータが100億回計算したところで、「他の例計算してないから証明してないよ」となる。コンピュータは無限を扱うのが苦手というのが、数学とAIの根本的な相性の悪さを生み出している大きな要因である。