労働

労働で普段から考えてる雑記

 

 

 

まずやりたい仕事という概念は存在しない

労働自体したくないので、やりたくないものから何を選ぶかが職業選択である

 

いわば、イチゴ味のウンコかミカン味のウンコかマシなウンコを選んで食べるのが労働だと思えていて、労働してる時点でウンコを食べている異常な状態だと思える

 

で、問題は、労働というウンコの味をどのように評価するかである。好きな食べ物嫌いな食べ物が千差万別となっても、個々人で好き嫌いになんとなく曖昧なルールがあるケースは多いだろう。肉が好き、野菜が嫌い、甘いのが好き、などである。

 

自分が労働の味で評価指標としているのが、予め整理しないと人に伝えづらい内容だとふと気付いたので、ここにまとめる

 

自分の評価指標は、「気高さ」である

 

簡単に整理すると

 

・嘘をついたものを提供しない

大義のある組織に所属する

・低待遇で使い潰すような、「悪」に該当すると思える行為をする企業は、自分の待遇がマシでも求めない。悪に加担するのは悪であり、気高さと真逆だからである

 

翻って自らの行動指針に反映すると

 

・嘘をつかないものを提供できる実力と自信をつくる

・寄り添える大義の指針を持つ

・なにを持って悪とするか、法律的、相対的な知識を持つ

 

事が重要ともわかり、そのように日々を過ごすのが、ウンコを食べる異常行動を続ける上だと自己破綻が起きないとわかる

 

ウンコを食べるのが気高さと真逆なのは一旦おいておく

 

異常行動をしないのが良いのは明らかなので、「日本、埋蔵金」「日本、油田」「ダイヤ、鉱脈、どこ」のようにたまに検索することも忘れないでいきたい