ワクチン接種を計算とゲーム理論で捉える

ワクチン接種すべきかどうかを、ある程度まじめに議論して日記にしてみよう

 

なお、私自身の立場はワクチン接種をしたいと思っている立場だと最初に表明しておく。だが、フラットにワクチンについて定量的な評価をしたいと思い、この日記を綴っている

 

 

さて、まず前提として、ワクチンが本当に100%安心で接種しても問題ないものとはいえないというものを置く。

 

わたしがそのように考える理由だが、接種後に十年以上経った後に本当に影響がないのか?ということが現状わかりようがないことが主である。

 

例えば、わたしはレーシックも興味はずっと持っているのだが、あと10年経過して術後の後遺症がないという結論が出ない限り、実行に移すつもりがない。

 

ワクチンは打つつもりだが、「将来どうなるかわからないが、目先の利益を優先する」という立場を自らがとっていることは認識しながら打つつもりである。悠長に待つなどといってられない情勢だと判断したということだ。

 

また、効果についても、本当はもっと感染者が増え、デルタ株の感染者と死亡者をワクチン接種の有無で分類し、2群の平均に差があるかの検定、いわゆるA/Bテストを行う必要があると考えている。だが、高齢者から優先してワクチン接種という実情があるために、A/Bテストを行うにしても、標本バイアスが大きく出るという問題があり、当分先にならないと、本当に効果があったのかを検定で判断することは出来ない。

 

正直なところ接種してもデルタ株に感染するなら、副作用で動けない日が発生する可能性がある分、損なのではないか?と思ったことはある。だが、ウイルスが継続的に変異をする以上、進化したウイルス株について本当に効果があるか検証をすることが事実上不可能なので、結果待ちなどといっていたら一生打てないことになるので、割きって受けることにした(まだ受けていないが2回分予約済み)

 

さて、ほぼほぼ大丈夫だとは思っているものの、ワクチンの安全確率が100%ではないと思っているので、安全である確率をp (0<p<1)としよう。

 

安全であった場合の、ワクチン接種者の生存率を q

安全でない場合の、ワクチン接種者の生存率を r

ワクチン非接種者の生存率をs

ワクチン接種者の割合を x (0<= x <= 1)

 

と設定する。ワクチン製品さえ固定すれば、p,q,r,sは既に決まっている定数であると考えられる。そのため、x が(行政や各人の意思で)コントロール可能な変数である。

 

また、各定数の意味を考えると( r < s <q)と大小関係を定めてもよいだろう。

 

さて、そろそろ定量的評価に移ろう

 

ワクチンが安全だった場合、xq+(1-x)s が全体の生存割合

ワクチンが安全でない場合、xr+(1-x)s が全体の生存割合

 

よって、生存期待値は、

 

f(x) = p * (xq+(1-x)s) + (1-p)*(xr+(1-x)s)

 

となり、f(x)を最大とする x を実現しようという問題になる

 

f(x)は一見複雑だが、f(x) = ax +b という一次関数の形なので、中間で最大値をとることがなく、定義域の境界である、x=0 , x=1 のどちらかで最大となる。

 

f(0)=s

p(1)=pq + r-pr

 

となる。この2つのうち、どちらが大きいかの評価ということになる。r<s<qであることに気を付けると、pと (s-r)/(q-r) =kの大小関係で決まり、pがkより大きければ、f(1)が最大、pがkより小さければ、f(0)が最大となる。

 

例えば、q=99% , s=98% , r=95% と設定すると、k=75%となる。これはかなり適当に統計データを眺めて設定した数値なので、実情だと思わないように注意はしてもらいたい。

 

これは、ワクチンが信頼できる可能性が75%より高ければ全員接種した方がいいことを指す。

 

そして、わたしはワクチンが100%信頼できるものではないが、75%よりは信頼できる確率が高いと思うので、接種にポジティブという立場をとることに至る。

 

ここまでが、定量的な期待値に基づく議論で、ここから下は、ゲーム理論に近い考えを行う。

 

上のような計算結果が出たが、ワクチンが信頼できる可能性が70%ぐらいだろうと考えている人にとっては、ワクチンは非接種の方が生存期待値が高いことになる。

 

実際のところ、ワクチンの安全率は未知の定数であるので、非接種者の存在は、「リスクヘッジ」であると言い換えることが出来る。

 

そもそも、ワクチンの安全率が99%であったとして、期待値的には全員接種の方が効率が良くても、安全でない確率が1% でも存在するのなら、全員がそう動かない方がいいという意見も成立しうるだろう。

 

わたしは人それぞれに好き嫌いや考えの違いがあるのは、人類の生存のための、生存本能の一種であると普段から考えている。

 

例えば、人類みんなが同じ行動をとってしまうと、その行動が間違っていた場合に、人類が絶滅してしまうのだ。

そのため、どんな行動でも、わずかでも危険な可能性があれば、オールインせず分散してリスクヘッジすることは否定できないだろう。

 

わたし自身のワクチン云々への立場も、

 

「わたしはワクチンの安全性が閾値を越えていると予想するために接種を行うが、安全性が閾値より低かった場合のリスクヘッジとして、非接種者の存在も否定できない」

 

である。期待値は全員接種の方が高かったとしても、極少人数であれば、将来のなにかのリスクヘッジで非接種者の存在も悪くないということである。

 

後半のこの考えは、ゲーム理論の「混合戦略」に近い。

 

常に同じ行動をする戦略ではなく、一定の割合で行動するというものである。

 

例えば、ゲームで、攻撃A、攻撃B、攻撃Cのうち、攻撃Aの期待値が一番高いが、それだけやっていると対応されやすいので、3つを6:3:1の割合で使う、のような行動が、混合戦略である。

 

先ほどまでの話は、人類全体で見た場合、様々なものについて混合戦略を取ることで、リスクヘッジを行う本能があると、わたしが考えていると言い換えることが出来る。

これはエビデンスがない完全な仮説だとは注意しておく。