夢幻三剣士の考察

ドラえもん のび太の夢幻三剣士

 

は旧ドラ映画の中でも謎を残して終わった作品であり、あまたの考察もある作品である。

 

せっかく全作レビューを書いたので、夢幻三剣士の自分なりの考察も残そうと思う

 

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前提:考察を以下のように定義する

 

作者の展開した作品にまつわる情報を「公理」として、該当する作品を「観察」することで、「公理系を基にして定理を構築する」作業を考察という

 

つまり、自然科学の観察による演繹で定理を構築する作業と同一視している。

そのため、公理系に矛盾していない発見であるならば、どのようなものも真であるという立場をとる。

 

これは公理に矛盾していない考察ならば、何を書いてもよいのが考察で、公理への矛盾以外に真偽をはかるバロメータがないという立場でもあるので、この記事で述べる考察には本来一つに決まるであろう作者の意図を当てるという趣旨は含まれていないという宣言でもある。

 

 

さて、公理としては、藤子先生による漫画、藤子先生存命時のドラえもんアニメ(日テレ版除く)、藤子先生による映画作品、藤子先生のインタビューなどの発現、をすべて採用するのが最も広い公理系となろう。

 

だが、今回は一部のみ公理系として採用して、そのもとで考察を行う。今回公理として採用するのは、ドラえもん映画のうち、「ねじまき都市冒険記」までである。

これは、通常の考察では「夢幻三剣士」の漫画版、映画版のみを公理として採用するだろうが、それより広い公理系を基にするという宣言である。

 

 

(前提終わり)

 

考察に移る。

 

夢幻三剣士で謎のポイントはおおきく2つ。

 

・トリホーが何者か(現実に自由に出ている上に、未来デパートからゲームの回収にも来ているように見える)

・ラストで現実と夢が混ざっているのはなんなのか

 

である。今回はまとめて解決する考察を述べる。

 

 

結論からいうと、夢幻三剣士は、

 

「未来のネジの外れたインディーズクリエイターが作った世界に1つのゲームであり、トリホーはクリエイターがゲームを体験するために作ったロボット」

 

が自分の考察である。

このように至ったことにはいくつか理由があり、特に大きいのは、「創生日記」「ねじまき都市」の視聴である。

 

感想でも書いたが、倫理観が薄いドラえもん映画の2強である。

 

これを前提にすることでわかることは、

ドラえもんの世界には倫理観がない道具が多い

・ともすれば現実に大きな影響のある道具さえ存在する

・創生日記において道具を基に未来改変にうつるものには、タイムパトロールの追跡が入っていた

である。

 

夢幻三剣士のラストの解釈はいろいろあるが、ひみつ道具は夏休み自由研究コーナーでさえ創生日記のようなやばい道具があるので、この程度の影響がある道具はあっても不思議ではないというのが、他作品を公理に加えたときの解釈である。

 

つまり、「本当に現実に影響があって現実が変わっていた」が自分なりの結論である。

 

だが、これではいくらなんでもゲームに倫理観がなさすぎる。通常のクリエイターなら作らないレベルだろう。そのため、倫理観がぶっ壊れたクリエイターが作ったという考察に至った。

 

さて、ここでわたしと同じキャラクターを想像した人も多いのではないかと思うが、わたしはソードアートオンラインの茅場をここで想像した。ソードアートオンラインも有名なので、申し訳ないが説明は省略する。

重要なのは、わたしは、ドラえもん世界で茅場のようなクリエイターが存在し、作ったのが夢幻三剣士であるという提起をしているということだ

 

次に、ソードアートオンラインがヒントとなり、このようなクリエイターは、自分が倫理観のないゲームを作ったとしたら、それを間近に体験したいという欲も当然持つだろうという考えにも至った。

 

そこで、トリホーは、クリエイターが自らのゲームを間近で体験するために作ったインターフェースロボットなのではないかという提起に至る。トリホー = クリエイター 説でもいいのだが、実際の作品を見るとトリホーはロボットであると解釈した方がいい気がしたので、そのようにした。

 

とはいえ、トリホーはロボットでありクリエイターであるという可能性は否定しない。

 

基本的には、ねじの外れたクリエイターがいる。クリエイターと同一個体かは定かではないがクリエイターがゲームを体験、更にはクリエイター本人が望むようなバランスになるように調整するためのゲームのバランサーとして、トリホーが存在。というのが、わたしの考察になる。

 

夢幻三剣士が一個しかないのも、クリエイターが実際に参加できるゲームが同時に一個までという制限、それと恐らく何らかの規制にかかるゲームを開発したことがバレないようにという意図だと考えると、矛盾が起きないのではないだろうか。

 

そして夢幻三剣士は、倫理観がぶっ壊れた道具なので本当に現実に影響を与えた。だが、そうなると直ちにタイムパトロールに検知されるので、他の作品が始まる前に、検知したタイムパトロールによって是正がされた。

 

が、自分の用意した夢幻三剣士の考察である。

 

他の考察をあまり見ていないので同じような考察があるかどうかは正直知らないのだが、これも、ドラえもん映画を一通り見ることで、夢幻三剣士という点でなく、旧ドラ全体という線・面で捉えることで解釈が進んだものであるので、ドラえもん映画一気見をして1つ1つの作品についても今までにない捉え方ができるのだと、面白さを実感でき、全作を見終わり感想を書いた時とはまた別の満足感があるものである。