数学書として憲法を読む

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のんびりだったが読み終えたので、書評だか感想だかわからないものを残す

 

筆者が、修士学部:東大数学科、博士:MIT→いろいろ→広島市長、という経歴なことも大変面白いと感じ、まさにこの筆者にしか書けないものではないかと感じた本である。

 

 

ここまで所謂理系的なものにはある程度触れてきたが、文系的な素養にあまり触れてこなかったとは思っているので、これからは積極的にこれまで触れてこなかった本も読もうと考えている。

 

今回は出だしということで、今までの知識から接続しやすい憲法解釈書を選んだ

読み終わってから改めてこの本と相性がいい人を考えると、

 

  • 理系の知識は十分あって、そこから文系知識を上積みしたい人
  • 法律と数学の親和性が高いと思っている人
  • 日本国憲法を記述通りに正直に受け取ったら何が起こるかに興味ある人
  • 文章は文章のまま論理だてて解釈すべきだと思う人
  • 多様な憲法解釈に触れたい人

 

といったあたりとなるだろう。

このうち、法律と数学の親和性のみ、補足をしておこう。

 

なんの関係があるのか?と思う人も多いだろうか、法律と数学が親和性があると考えている人は多く、数学の論理的思考力が法律解釈の助けになるという意見もしばしば見かける。

実社会で言うと、例えば、保険数理人(アクチュアリー)は、1次は損保数理でブラウン運動も関係するような発展的な数学を扱うが、2次は法令解釈の試験であり、実務でも法律に則った適切な運用が重要となる。

アクチュアリーは理系からも人気がある職種であるが、行きつく先が法律なのである。そのような職種であるが、大きな変更もなく継続しているのは、理系的な思考力と法令解釈とに親和性があるのが理由の一因となっているからという仮説を立てても、そこまで突飛ではないだろう。

 

特に、文章内ででてきた物事の関係を頭の中で整理して、それらと過去の事例を元に自らの意思決定を行う力は、理系的な勉強で鍛えやすい要素であるといえよう。

 

さて、そのように法律と数学との間には親和性があるという前提にたったうえで、以下は進めていく。

 

ここから内容

 

数学書として憲法を読むというタイトルだが、数式が羅列されたりするわけではなく、数学の基本的な考えを元に憲法の読解をするという内容となっている。

 

ここでいう基本的な考えとは、「公理系」のことであり、公理系が数学の考えの根幹だという立場をとっていることからも、この本が数学の本質を見抜いていると私には感じられた。

 

公理とは、ものごとの大前提で、考えの出発点にする基本的なものである。数学ではデデキントの切断選択公理などが代表であり、(門外漢なので怪しいが)物理では電磁気のマクスウェル方程式などがある。

 

理系分野は公理を元に、どのような世界が広がるかの思考実験場であり、特に数学は公理が外界と隔絶されて固定されたものなところが、特徴である。数学以外の理科だと、これまでの公理に対して研究が進み、古い公理を内在した新しい公理が発見され、公理が上書きされるということもあるという認識を、わたしは持っている。

理科は現実をより反映した公理を採用する必要があることから、現実の解像度があがるごとに、公理もアップデートされてしかるべきだとも思っており、当然の違いだと捉えている

 

さて、翻って数学は現実の状態などどうでもいいので、公理がアップデートされることはなく、完全に固定される。ときおり数学は理科と比べて現実に触れていないという指摘も受けるが、だからこそ公理が固定され、確固とした学問体系になっているといえる。

 

今回の話に戻ると、日本国憲法は、法令解釈をするうえで、揺るがしようのない公理であるという立場で法令解釈をするのが、数学書としての読み方であるという導入から入り、その下で話が進んでいく。

 

そして、公理系とはなかに矛盾を抱えていない「Well defined」であるという要請も必要なので、「Well defined」であるような解釈を日本国憲法には行う必要がある。そして、「Well defined」という要請がかなり強力で、これだけで解釈の仕方がかなり限られるというのが、この本の主張として大事なことだと捉えている。

 

また、日本国憲法が数学的な公理であるという前提に立つと、公理はすべての大元でなければならないので、外部情報を公理に採用してはならない。そこで、日本国憲法の文章のみから、論理的に明快にわかる解釈をしようという趣旨で解釈を行うところも、特徴的である。

 

詳細は実際に本を読んでいただいてもらうとして、公共の福祉、国民の総意といった、名前は聞いたことがあるものの実態を知らなかったものについても、文章をそのまま受け取るという作業だけから、内容が確定できるというところが衝撃的であった。

 

他には、日本国憲法でたびたび登場する天皇についての記述が、そのまま読解すると天皇が日本の主人公であるかのように読み取れるというところが印象深かった。

 

これまで自分は日本国憲法の条文を見て、なんとなく矛盾がありそう、なんとなくこういうことだろう、といった不鮮明感は覚えても、そんなもんなんだろうと思い据え置いてきた。ところが、据え置かず積極的にアプローチをかけるだけで、ある程度納得のいく解釈に本来至れたのである。

筆者の解釈に全面的に同意を行うわけではないが、このように日本国憲法の文章をそのまま読解したら何が分かるか自分なりに考えるのが、本来の勉強なのではないかと思え、全国の小中高生に、日本国憲法をそのまま受け止めたらどのように解釈できるか自分でやってみるという行動を、ぜひとってもらいたいと思えた。

 

別の方面で印象的だったのは、既存の判例で、12345(3が中庸)であったとして、「5でない」の否定を「1」とするような判例があるということだった。これについては、あとでまた詳しく述べる。

 

 

さて、ここまでは賛同できる内容を中心に述べてきたが、やはりいくつか気になるところはあった。といっても、筆者に責任があるわけではない部分であることは、先に注意をしておく。

 

まず、折角数学書として憲法を読むのだから、より数学の要素を出して解釈した方がわかりやすいところは、積極的に使ってほしかったというところがある。

 

文中では、本中には出てこないわたしの造語で、「憲法的地位」についての不等号から議論をするシーンが多々ある。

わたしなら、ここで順序集合の概念を導入して示すだろうと、読みながら思えた

 

例題   x > y を、xがyに憲法準拠の行動を規定することを表す記号とする

 

x > y, x >z のとき、y > z が成り立たないことを示せ

 

解答例

背理法で示す。もし y が z の憲法準拠の行動を規定するとすると、 x がyと異なる指示をzに出したとき、zがxの指示する行動をとることに矛盾。よって、y > z とならない

 

似たような論法は使っているのだが、順序集合の概念を導入しないせいでかなりわかりづらくなり、冗長になっているところを感じた。

 

また、解釈が「Well defined」になるように勤労についての拡大解釈を行ったが、同じ条文中の義務の拡大解釈を行っているのが一般的な解釈なので、拡大解釈をどちらに用いるかに果たして人間の恣意的な思いは出ていないのか?などが気になった。

 

先ほど紹介した実際の判例で、12345の5段階あるうち、5の否定が1の判例があるということにも関連するのだが、読んでいて言語で記された文章の脆弱性をとても強く感じた。

 

今回の本はかなり文章内だけでフラットな解釈をすることに注力しているにも関わらず、ある程度疑問は出てしまうし、更に文章をそのまま解釈するのとは異なる判例も紹介されていた。

 

そもそも、言語の意味は変化しうるので、例えば、「日本国憲法制定時は5段階評価で5の否定を1とするのが一般的な表現だった 」といわれれば、当時そうだったならなにもいえないとなってしまう。そう考えて、

 

  • 過去の判例を重視するのは、言語の意味の変化に対応できるメリットが強い
  • 憲法は一切改正が行われなくても、日本語の意味の変化だけで読み手側からみたら意味が変わる恐れがある
  • 古文は、日本語の変化に対応しつつ過去の文献を読み解く際の助けとなり、古文という学問が存在すること自体が、過去の書物を正確に読みとく際のセーフティーネットとなりうる

 

という感想を持った。

 

言語に頼った表現がいかに不確実なものかを再実感できたが、対処法が、記号論理学の文脈で憲法を記述することぐらいしか思いつかず、よほど革命的な対策が出てこない限りは、人類は言語の脆弱さと付き合う必要があるのだろうと感じられたものだ。

 

以上で感想を終わる

 

憲法解釈書を読むのは初めてだったが非常に面白かったので、引き続き初見分野の読書に励んでいきたい。