最近ひしひしと感じていることの日記
わたしは比較的ゲームをやる部類の人間であったが、最近ゲームをやる時間がだいぶ減ってきた。要因はいくつかあるが、代表的なものは以下である。
・可処分時間自体の減少(自身の要領が悪いせいかもしれない)
・ゲームを連続してやる体力の減少
・ゲームをやり込むことへの熱意の減少、特にゲームをやり込むよりその時間で自己研鑽などをした方がいいのではないか?という疑問がよく起こるようになった
・ゲームへ求めるもののうち、目的の達成の割合が低くなり、コミニティのような社会成分の比重が高くなった。結果として、ゲーム外の立ち回りの重要性が増し、ゲーム内の行動の比重が低下した
例えばスプラトゥーン3は昔ならS+10ぐらいは目指したと思うが、S+0になった段階で、もう十分あそんだからいいやと思うようになり、それより目的を達成したのだから、他のことに時間を使う「べき」だという心情が発生し、これ以上のプレイに「罪悪感」さえ伴うようになった。
さて、以上のような要因があるが、これらは加齢とともに起きやすいのではないかと仮説を立てている。ここから更に、加齢を重ねるとともに、ゲームをやり込まない方向に内面が作用しやすくなっていくのではないかという仮説を立てている。
特に思うことは、コミニティや社会の重要性は、加齢とともに認識できる範囲が広がることである。それも、周りの目を気にせず黙々とゲームに打ち込むということが、加齢とともにやりづらくなるのではないかという仮説のうちたてにも大きく作用している認識である。
なので、最近ゲームをやっていて思うことは、
・いつまでゲームをする時間を可処分時間のメインにおくか
・自分の中でのゲームの達成目標を下げることで、自身の内面との折り合いをつけるか
の2点が自己の課題になっていると感じている。
答えがない内容であるが、上の二点を「守らない」と、
・ゲームを可処分時間のメインに置く
・目標を高く設定する
となり、これはわたしの定義では「真面目にゲームをやる」ということに該当し、タイトルにつながるというわけである。
繰り返すが、答えのない問であるとはわかっている。しかし、恐らく同じようなジレンマや悩みを抱えている人はある程度いると思っているので、今後ゲーマーたちの間で顕在化していくと予想される問題の一つだろうと、思うところである。