ガチャゲーはなぜ面白いのか

ゲームアプリにおけるガチャは人間の射幸心を煽り課金に駆り立てるものとして、自分がやっているゲームに採用されているか否かはおいておいて、よい印象を持たない人が多いのではないかと、主観で推察している。

 

だが、果たして本当にガチャにいい面はないのだろうか?

 

最近やっているHADESというゲームの紹介も混ぜながら、ガチャについて考察していこうと思う。

 

先に、HADES の説明をしよう。最近switchで出たのでやり始めた。

世界観なども優れているが、簡単のために、ゲームシステムのみ述べる。

 

聖剣伝説のような2Dアクション

ローグライク形式を採用し毎回報酬が変わる

・報酬は選択要素があり、運要素を薄めて自由度を高めている印象

・各ステージのボスは数パターンのシャッフル方式

・1プレイはアクションゲーム1週と考えると、そう長くない

 

2Dアクションだが毎回体験が変わるのがウリで、わたしもローグライク+アクションというジャンルに惹かれて購入した。

 

だがしばらくやった後に思えたことは、基幹となるゲーム部分が面白いものの、ローグライクとしての魅力はあまりなく、普通の2Dアクションだということだ。

1回の試行が短く、ある程度ばらつきのある2Dアクションというのはそれはそれで面白いので、主観での評価は高いのだが、これをローグライクとはいえないと思った。

 

さて、どこがローグライクではないかというと、「自由度が高い」の部分である。

 

選択の余地がないのは困りものだが、HADESはあまりにも選択の余地がありすぎる。シレンで例えると、次に拾うアイテムがあるとき、どうたぬきか巨大なおにぎりか背中のツボか選べるような印象である。

 

自由度を高くしないと強いビルドが出来ずストレスがたまる。かといって自由度が高いとプレイヤーの理想が容易に実現出来て、ローグライク的な体験ができない。

 

そういった意味で、HADESをプレイしながら、ローグライクゲームにおける自由度のもつ二律背反を実感した。

 

ここから考えると、ローグライクゲームとして優れたものは、

 

・望みのビルドが出来ない程度には不自由

・クリアできる程度には自由

 

この2つを両立する必要がありそうだ。

 

ここで本題に戻る。上の2つの条件を見て勘のいいひとなら気づいたかもしれないが、これらは「ガチャ」と「無課金キャラ」を用いることで簡単に実現できるのだ。

 

・リアルマネーという足かせを用意することで望みのビルドが出来ない状況を構成する

・定期的な配布資産、無課金キャラの実装により、クリアできる程度の自由度を保証

 

おそらくローグライクゲームにおいて最も重要なポイントを、既存のガチャゲーはどれも当然のようにクリアしている。

 

そして、ほぼすべてのプレイヤーが(BANとリセマラを除くと)ガチャの関係するゲームは、1つのアカウントで延々とプレイして、途中から新しいアカウントにすることはないだろう。

 

これは、「ゲームオーバーのないローグライクゲーム」のような特徴を有しているといえる。

 

まとめると、

 

チャゲー = ゲームオーバーのないローグライクゲーム

・報酬のランダム差はガチャで表現

・運が悪くてもクリアできるように無課金報酬で調整

 

となっていると私はHADESのプレイを通して考えるに至ったということである。

 

そのため、ガチャは確かに悪い面も多いとは思うのだが、一概にない方がいいシステムとはいえないと考えている。

 

ただ、ないと話にならない人権キャラの実装などは、ガチャの作る不自由度を楽しむという味が大きく薄れる事にはなると想像している。作り手側も、安易にガチャに頼りすぎてはならないだろう。